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第五話 社内の誤解

مؤلف: 海野雫
last update تاريخ النشر: 2026-03-05 19:00:16

 理人に管理されるようになって一か月が経った。

 弁当は毎日届く。週末は一緒に過ごし、水曜日には家に来て夕飯と作り置きを作ってくれる。おかげで平日にコンビニ弁当を買うことはなくなった。

 体調はいいし、仕事も順調だ。残業しなくなった分、夜の時間が増えた。ぼんやりテレビを見ていると、一か月前までの自分が嘘みたいだった。終電で帰って、コンビニ飯を流し込んで、散らかった部屋で寝落ちしていたあのころが。

 すべて理人のおかげだと、わかっている。わかっているのに、それが当たり前になりつつあることにも気づいている。

 水曜日の午後三時。モニターに向かっていると、理人がコーヒーを差し出してきた。

「三時です。休憩してください」

「おう。いつもサンキュ」

 カップを受け取って、ひとくち飲む。午後のコーヒーも、もう日課になっている。

「今日、くるだろ?」

「はい。そのつもりです」

「今日のメニューなに?」

「今日は――」

 理人が顔を少し近づけたとき、背後から声がかかった。

「おい、夏目。ちょっとこい」

 水城だった。

 直は振り返った。水城の表情がいつもと違う。普段はドライな男が、珍しく困ったような顔をしている。

「なんだよ」

「ここじゃあれだ。ちょっと来い。神谷も一緒に」

 水城は目で給湯室を示した。理人を見ると、理人は不思議そうな顔をしていた。三人で給湯室に向かった。

 給湯室のドアを閉めると、水城が声をひそめた。

「お前ら、付き合ってるって噂が流れてるぞ」

「はあ?」

 直の声が裏返った。

「なんだよそれ。誰が言ってんだ」

「出どころはわからん。けど、もうけっこう広がってる」

「なんで……」

「いや、思い当たるだろ。毎日弁当作ってもらって、屋上でふたりで食ってて、帰りも一緒。傍から見たらそう見えるって」

「それは、俺の食生活が乱れてるから神谷が――」

「俺はわかってるよ。けど知らないやつが見たらどう思うかって話だ」

 水城が腕を組んだ。

「しかもお前、最近やたら肌ツヤいいし、服もこぎれいになっただろ。急に変わったら、そりゃ誰か世話してるやつがいるんじゃないかって勘ぐられるよ」

 直は言葉に詰まった。確かに、理人の管理が始まってから、見た目も変わった自覚はある。それが社内にどう映っているかなんて、考えたこともなかった。

「それにな」

 水城が咳払いをした。

「週末に、お前らを見かけたやつがいるらしい。服屋で一緒にいたとかで。距離がカップルそのものだったって」

「……っ」

 管理が始まったばかりのころの買い物だ。理人に服を選んでもらい、カフェでタルトを食べた。あのとき梨沙にも会った。梨沙がばらしたのか? いや、梨沙はそういうタイプじゃない。別の誰かに見られていたのだろう。

「水城さん。それ、誰が言ってるんですか」

 理人が口を開いた。

「さあな。女子の間で回ってるっぽい。出どころまでは追えてない」

「そうですか」

 理人はそれだけ言って、黙った。

 水城が理人を見た。

「お前からもなにか言ったらどうだ」

「なにをですか」

「否定とか。誤解ですとか」

「別に」

「別に、じゃねえよ」

「否定する必要がありません。俺は先輩の生活を管理しているだけです。それ以上でも以下でもない」

 理人の声は平坦だった。感情の色がない。否定も肯定もせず、ただ「管理」という言葉だけを置いて、それ以外はなにも語らなかった。

 水城が直を見た。

「お前はどうなんだ」

「いや、付き合ってねえよ。管理されてるだけで……」

「管理ね」

 水城がため息をついた。

「まあ、一応言っとくけどな。お前らの距離感、普通の先輩後輩のそれじゃねえからな。俺から見てもそう思うし、周りがそう見るのも無理はない」

「……」

「別にお前らがどうしようが勝手だけど、噂が大きくなると仕事に差し支えるぞ。それだけは言っとく」

 水城は手を上げて給湯室を出ていった。

 ドアが閉まると、給湯室がやけに静かになった。蛇口から水滴がぽたりと落ちる音がした。

 ふたり残された。

 給湯室は狭かった。シンクの横に並んで立つと、肩がぶつかりそうな距離だ。理人はコップを手に取って、水を注いでいた。何事もなかったような顔をしている。

 直は理人に向き直った。

「なんで否定しなかったんだよ」

「否定する内容がないからです」

「いや、あるだろ。付き合ってないって言えば済む話じゃねえか」

「付き合ってません、と言ったところで、この距離感が変わるわけじゃないでしょう」

 正論だった。毎日弁当を作ってもらい、週末に会い、部屋の合鍵まで渡している。「付き合ってない」と言ったところで、やっていることは変わらない。口で否定しても、行動が全部裏切っている。

「じゃあどうすんだよ。噂、放っとくのか」

「はい」

「お前はそれで困らねえのかよ」

「困りません」

 迷いがなかった。コップの水を一口飲んで、直を見た。

「先輩は困りますか」

 また、この質問だ。前も聞かれた。あのときも答えられなかった。

「……困るっていうか。後輩と付き合ってるって思われるのは、なんか……」

「なんか、なんです」

「恥ずかしいだろ。違うのに、そう思われるのが」

「恥ずかしい」

 理人が繰り返した。声に感情は乗っていなかった。けれどコップを持つ手が一瞬だけ止まった気がした。

「水城さんの言う通り、距離を取ったほうがいいですか」

「……え?」

「弁当をやめて、週末も会わない。そうすれば噂は消えます」

 直は黙った。

 やめる。弁当がなくなる。週末に会わなくなる。水曜の夕飯もなくなる。

 それは、管理が始まる前の生活に戻るということだ。コンビニ弁当と、散らかった部屋と、終電の日々。

「……それは」

「それは?」

「……別に、そこまでしなくても」

「じゃあ、このままでいいですね」

 理人がコップを洗って、棚に戻した。

「戻りましょう。仕事があります」

 理人は先に給湯室を出た。

 直はしばらくその場に立っていた。

 否定しなかった理人。困らないと言い切った理人。距離を取りますか、と聞いてきた理人。

 あれは脅しじゃない。本気で聞いていた。直がやめろと言えば、本当にやめるつもりだったのだ。

 それが、怖かった。

 理人の管理がなくなることが、いつの間にか怖くなっていた。

 その日の夕方。いつも通り、理人と一緒に最寄り駅で降りてスーパーに寄った。

 噂のことには、昼以降触れていない。理人はいつも通りだった。カートを押し、野菜を選び、献立を組み立てている。何事もなかったかのように。

 直だけが、落ち着かなかった。

 水城に言われたことが頭から離れない。「お前らの距離感、普通の先輩後輩のそれじゃない」。そう言われてから、理人との距離を妙に意識してしまう。隣に立っているだけで、周りの客にどう見えているのかが気になる。

 カートを押す理人の横顔を見た。野菜を手に取り、葉の色やハリを確認している。真剣な顔だった。この男は料理のおかずを考えるときも、仕事のデータを確認するときも、同じ顔をする。

「……いつも悪いな」

「なにがです」

「毎回うちまで来てくれてさ」

「何度目ですか、それ」

「何度でも言うよ。事実だし」

 理人が振り返った。近い。いつもの距離だ。なのに、今日は妙に意識してしまう。噂のせいだ。水城のせいだ。

「先輩」

「なんだ」

「卵、買い忘れてます」

「あ、ああ。取ってくる」

 直は卵を取りに行った。冷蔵ケースの冷たい空気で、少し頭が冷えた。

 落ち着け。いつも通りだろ。噂に振り回されすぎだ。

 会計を済ませて、アパートへ向かった。

 五月の夕暮れ。空がオレンジから紺に変わりかけていた。住宅街の道は静かで、ふたりの足音だけが聞こえた。並んで歩く。いつもと同じ道。いつもと同じ距離のはずだ。

 電柱の影が長く伸びている。すれ違う人はほとんどいない。こんな静かな帰り道を、毎週こうしてふたりで歩いている。

 なのに今日は、隣を歩く理人の存在が、いつもより近く感じた。

 買い物袋がかさかさと揺れる。理人の歩幅は直より少し狭くて、自然と歩調が合う。こんなこと、今まで気にしたこともなかったのに。

 肩が触れた。

 ほんの一瞬。歩いていて、道が狭くなったところで、自然に。

 直は反射的に半歩ずれようとした。けれど理人は避けなかった。気にしていないのか、気づいていないのか。何事もなかったように、まっすぐ前を向いて歩いている。

 もう一度、触れた。今度はほんの少しだけ長く。肩の骨と骨が当たる硬い感触。そしてその奥にある、人の体温。

 理人は歩調を変えなかった。

「先輩、鍵出してください」

「あ、ああ。わりい」

 アパートの前に着いていた。いつの間にか。鍵を開けながら、直は自分の心臓が少しだけ速くなっていることに気づいた。

 噂のせいだ。水城のせいだ。カップルみたいだなんて言われたから、意識してしまっただけだ。

 それだけのはずだった。

 理人はいつも通り、靴を脱いで台所に向かった。エコバッグから食材を出し、まな板に向かう。包丁の音が響く。いつもの水曜日だ。

 直はソファに座って、その背中を見ていた。

 いつもなら、テレビをつけるか、スマートフォンをいじるかしている。けれど今日は、理人が料理する姿をぼんやり眺めていた。慣れた手つきで野菜を刻み、鍋に火をかけ、味見をする。この狭いキッチンが、理人が立つとちゃんと台所として機能する。

 さっき、肩が触れた感触が、まだ消えない。

 食事ができて、ローテーブルに向かい合わせで座った。鶏肉と根菜の煮物に、ほうれん草のおひたし、味噌汁、ご飯。和食だった。

「いただきます」

 煮物を口に運ぶ。いつも通り、うまい。味がしみていて、しょうがの風味がじんわりと身体に広がった。

「今日の煮物、いいな。しょうが効いてる」

「先輩、風邪のひきはじめみたいな顔してたので。身体があたたまるものにしました」

「……え? そんな顔してた?」

「はい。目の下が少し赤かったので」

 自分では気づいていなかった。理人は気づいていた。朝、すれ違ったときに見たのか。――それとも、昼休みの弁当のときか。

 いつも、そうだ。直が気づかない変化を、理人は見ている。体調も、気分も、服の乱れも。

「お前、俺のこと見すぎだろ」

「管理ですから」

 理人は味噌汁を啜った。その横顔は、いつもと変わらなかった。けれど「管理ですから」という言葉を聞くたびに、直は少しだけ引っかかるようになっていた。管理。便利な言葉だ。なんでもその一言で片付けてしまう。

「なあ、神谷」

「はい」

「お前にとって、管理って、なんなんだ」

 理人の箸が一瞬だけ止まった。

「……先輩の生活を整えることです」

「それだけか」

「それだけです」

 また、その一言で閉じた。それ以上は踏み込ませない壁がある。

「そうか」

 直はおひたしを口に運んだ。ちゃんとうまかった。

 食事が終わり、理人が片付けをしている間に、直はスマートフォンを見ていた。共有スケジュールアプリに、来週の予定が追加されていた。月曜の朝に「資料最終確認」、水曜に「夕食+作り置き」、土曜に「外出」。

 理人に管理された自分のスケジュール。一か月前なら、こんなの鬱陶しいだけだっただろう。今は、予定が入っていると安心する。自分でなにも考えなくていいから。

 それが依存なのかどうか、考えないようにした。

「片付け終わりました。それでは」

「おう。気をつけて帰れよ」

「はい」

 理人が玄関で靴を履いた。

「先輩、今日は早めに寝てください。風邪、ひきかけてます」

「……わかったよ」

「明日の弁当、しょうがを多めにしておきます」

「……サンキュ」

 ドアが閉まった。

 理人がいなくなった部屋は、急に静かになった。台所に、煮物のだしの匂いがまだ残っている。さっきまで理人が立っていた場所。洗われた食器が水切りかごに並んでいる。

 直はソファに座って、天井を見上げた。

 肩に残った温度のことを考えていた。歩いていて触れただけだ。ただそれだけ。理人は気にもしていなかった。避けもしなかった。当たり前のように、同じ歩幅で歩き続けていた。

 なのに直だけが、意識している。

 給湯室でのやり取りを思い出した。「距離を取ったほうがいいですか」と聞かれたとき、直は「そこまでしなくても」と言った。つまり、今の関係を続けたいと、自分から選んだのだ。

 噂が立っていることを知った上で。

 「カップルみたいだった」。水城の声が頭の中で繰り返された。

 ――俺たち、周りからどう見えてるんだろう。

 初めて、そんなことを考えた。

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     理人はしばらく視線をさまよわせていた。直の目を見ては逸らし、また見た。なにか迷っているのか、覚悟を決めかねているのか。 直は理人の肩を掴んだまま、手に力を込めた。 こわい。理人の口からなにが出てくるのかが、こわい。七年間隠していたことを聞くのが、こわい。七年間隠していたことを聞く。それは、理人と直の関係の土台をひっくり返すかもしれない。管理だと思っていたものが、まったく別のものだったと知ることになるかもしれない。 けれど、聞かなければならない。「理人」 直は再び名前を呼んだ。緊張で声がかすれた。 公園を風が吹き抜けた。木々が揺れて、葉擦れの音がした。夕暮れの光が弱まりはじめている。 理人は、心を決めたように直を見た。まっすぐに。あの目だ。合鍵を返そうとしたときの目。路地裏でキスをしたときの目。エレベーターの中で見た目。何度も見た、感情を閉じ込めきれない目。けれど今は、閉じ込めようとしていなかった。蓋を開けようとしている目だった。「……話します」「うん」 直は理人の肩から手を離した。理人が話しやすいように。 理人は膝の上で手を強く組んだ。関節が白くなっていた。しばらく黙って、それから口を開いた。「俺が初めて先輩に会ったのは……そのパンフレットの、学園祭のときでした」 静かな声だった。けれど、かすかに震えていた。「俺は……人付き合いが得意じゃなくて。大学に入っても友達は少なかったです。その年の秋に、数少ない友達に誘われて、明正大学の学園祭に行きました。友達の彼女がそこに通っていたので」「……うん」「しばらく一緒に回ってたんですけど、途中で友達が彼女と合流して。俺はひとりになりました」 理人がそこで言葉を切った。息を吐いた。当時の孤独を思い出しているような間だった。「帰ろうと思いました。けど、笑い声の絶えない模擬店が近くにあって。気になって、近づいたんです」

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